知れば知るほど断言できなくなる
知るということは、知らなかったことに気づくことです。
知らないことの可能性を考えると「100%大丈夫」と断言するのはむずかしいこともあるのです。
100%の保証が欲しい
相談にいったり説明をうけるときには「100%大丈夫です!」と断言してほしいものです。
それも目的だったりするので。
ですが「○○と思われます」とか「△△の可能性が高いです」にとどまるときもあります。
そんなときは、安心できないし、謎が深まるときもあるし、「相談する相手をまちがったかな…」と思ったり。
でも、こちらから行くのではなく、広告などに「100%!」と書いてあると逆に「ホント?」と疑うものです。
向こうから言ってくるときは怪しむけど、こちらから行くときは欲しいもの。
それが100%の保証ですよね。
知れば知るほど断言できなくなる
知るということは、知らなかったことが分かることです。
知る回数がふえれば、知らなかったことがいかに多かったかにも気づきます。
過去を思い出して「危ない橋を渡っていたかも……」と冷や汗がでることも、恥ずかしくなることもあったりなかったり……
こういう経験がふえると「100%大丈夫」という前に、身構えるようになるものだと思います。
相手がほしいものが分かるだけに断言したくはあるのですが。
ただ、登場人物や状況、時期、書類などもろもろについて1つでも追加があると、ガラッと結果が変わることは少なくありません。
税金のケタが1つ増えることだってあり得ます。
なので「100%」という前に押せるだけ念を押しますし、それなりに時間がかかることもあるのです。
打てば響くように、質問にたいしてスパッと即答するのが「できる人」かもしれません。
「与えられた情報だけなら○○です」とは言えるでしょうが、それは解決になるのか……?
つまり、「100%」と断言しないのは、裏でいろいろな可能性を考えているからなのです。
それを1つ1つどうやって聞いていこうか、確認していこうか、と段取りを考えたり時間の調整などなど……(;^ω^)
この世に絶対はない、という言葉
自分の好きな言葉のひとつに「この世に絶対はない」があります。(違う表現だったかもしれません)
絶対に大丈夫と思っても安心しない。
絶対にダメだと思ってもあきらめない。
こんな意味のはずです。
事業をしていると、他人の成功と自分の失敗に目がいきがちです。
でも、これって逆なんじゃないだろうか。
他人の失敗を参考にして、小さくてよいので自分の成功をきっかけにする。
すると、絶対にダメだと思ってもあきらめないことにつながるかも…。
※ 記事作成時点の心境に基づいています。