自分が先か、相手が先か
だれでも、自分がやりたいことのために、相手がいるという環境のなかで生きています。
自分が先、が普通
なにかをすれば、そこから得られるものがあります。
いっぽう、それをすることにより失うものもあるでしょう。
この得られる・失うというのは、「自分が」主語であるのが普通です。
嬉しいのも、ときに痛い思いをするのも自分ですから。
なので、「自分にとってそれはどうなのか」とかんがえるのが自然です。
ただ、得られる・失うは、ともに欲に置き換わることもあります。
- なにかを得たい
- なにも失いたくない
こうした欲があるから、いろんなことが発展してきたといえます。
この欲は、弱味ともいえます。
たとえば、欲しいものがあると、それに関することで時間をつかったりします。
調べたり、見にいったり…など。
この「時間をつかう」ことが、弱味といえるのです。
多少の時間だったら、よいかもしれませんね。
- 人気があるのに数がすくないものは、値段がたかくなる…
- ついで、欲しい気持ちも強くなる…
これも、弱味をつかれていると言うことができそうです。
弱味につけこんでくるのは、ときに詐欺だったりもします。
足元をみられる…というのも、似たようなものでしょう。
また、欲が強くなるほど、自分のことを先にかんがえる傾向も強くなります。
周りはおいといて、まず自分…という風に。
とても欲しいものがあるなら、自然といえます。
ただ、「自分が先」だと、いいことだけではなく、ここまで書いてきたような弊害もあるわけです。
相手が先だと…?
相手のことを先にかんがえるのも、よいかもしれません。
ある取引をするとき、それが有料・無料にかかわらず、相手はどんなものを得られ、あるいは失うか…と。
相手のメリット・デメリットでもよいでしょう。
(想像の範囲はでませんけれど…)
すると、取引のほんとうのすがたに、考えがおよぶようになります。
無料だからといって手を出すと、じつは相手のほうがトクをする…
こんなことは、たくさんあります。
相手にトクをさせるのが、問題なのではありません。
自分がよくわからないことに手を出しているのが、問題なのです。
欲があると、それに行動が縛られるものです。
そこに、取引のほんとうのすがたが見えていないことが加わると…
「ちゃんと判断したとは言えない」ことにつながります。
すると、努力の方向もズレてしまうことに。
人間なら、だれしも欲はもっているはずです。
そして、地球とか自然とか、ぜったいに自分ではなんとかできない環境のなかで生きています。
でも、そんな環境のなかで、欲を満たすために頑張っているわけです。
スケールは小さくなりますが、人間同士もおなじこと。
環境である相手のことをかんがえなければ、うまくいかないのではないでしょうか。
事業はお客さまがすべてではない
事業をしていれば、いろんな取引があります。
売るためにはお客さまのことを考えなければなりませんが、ほかはどうでしょうか。
事業をうまく続けていくためには、よい環境も必要です。
その環境には、お客さま以外のヒトもふくまれます。
その環境をややこしくするのが、ときにお金だったりします。
「お金がすべて」なこともあるでしょうし、「お金がすべてじゃない」こともあるでしょう。
いずれにしても、取引というのは、相手が欲しいものと自分が欲しいものを交換することです。
それができなければ、取引はいずれ破綻してしまいます。
よい環境をつくるには、相手が欲しいものを知らなくてはならないのです。
自分のことも相手のことも考えなければ、うまくいかないわけです。
※ 記事作成時点の情報・法令に基づいています。
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