お金の価値は税金がつくっている

税金を払うことができるというのが、お金の価値をつくっています。

ついで、モノやサービスと交換できるということも。

というお金の実質的な価値を知っておくことは、経営判断の役に立つかもしれません。

 

お金の価値

お金は、あれば便利なもの。

そして、生きていくために、どうしても必要なもの。

なので、欲しい…たくさんあるに越したことはない…とおもうのが自然です。

 

くわえて、欲しいとおもっても、簡単には手に入りません。ふつうは。

そのため、欲しいという気持ちも、強くなるのが道理です。

手に入ったときはうれしいし、次もそのうれしさを…という連鎖が、欲しい気持ちに拍車をかけるので。

 

でも、なぜお金には価値があるのか。

それは、ほかのひとも、お金に価値があると認めているから。

自分にとっての1万円は、ほかのひとにとっても1万円。

…という前提をかいして、モノやサービスがお金と交換されるからです。

 

もし、モノやサービスと交換できなければ、お金には価値がない…といえます。

その価値をつくりだしているのは、だれか…?

 

それは、国です。

お金をつくれる権利も関係しますが、なにより税金です。

税金を、お金で払うことができる…ということが、価値をつくりだしているのです。

 

もし、税金を「お米」でしか払えないなら、いま流通しているお金は「お米」に置き換わるかもしれません。

いまのお金は、言ってみれば、ただの紙ですからね。

その紙と「お米」を交換できる保証がなければ、税金をはらえず、困ってしまう…

 

ただ、税金をとる側からみれば、「お米」では困るはず。

保管するにも困るし、もしかしたらジャマ。

紙のほうがかさばらないし、そのために銀行だってある。

…という背景により、お金の価値は、国がつくりだしているのです。

 

税金がもととなってお金がうまれ、「どうせだったら、そのお金をモノやサービスと交換していこう」…と。

(時系列では紆余曲折いろいろありますが、意味合いとしては)

こんなことが、お金の価値をうらづけているわけです。

 

「税金が…?」とおもうと、ちょっとシャクにおもえますね。

お金が欲しい…とおもう気持ちに照らしてみると。

 

仕事の価値

お金は、モノやサービスと交換できるから、価値があります。

そのモノやサービスの価値は、お金であらわされます。

このとき問題になるのが、「いくらで交換できるか」、つまり値段です。

 

たいていは、お客さまが値段をきめるものです。

「イヤだったら買わない」ということをとおして。

いまは、モノもサービスもあふれているので。

…という需要と供給のバランスが逆転すれば、売る側が値段をきめることもできますが。

 

ただ、モノやサービスというのは、相手のなにかを解決するために存在するものです。

そのなにかを解決したときには、「安心した」とか「良かった」という感情がうまれることもあるでしょう。

そんなときには、「いや~すごく助かったから2倍はらうよ」なんてことがあってもよいのかもしれませんが、おそらく稀ですよね。

相手の立場にたったときの「儲けた」というのが、ほとんどだとおもいます。

いっぽう、「役に立たなかった」ときは、クレームだったり値引きの要求がとんでくることもあるでしょう。

こちらの値引きは、多いのかもしれませんね…

 

つまり、売っているときの値段は、モノやサービスのただしい価値をあらわしていないこともあるわけです。

…とかんがえると、自分の仕事の価値は、自分自身でどう捉えたらよいのでしょうか。

 

自分は何を決めるか

お金の価値は、国がきめている。

仕事の価値は、かならずしも正しくはお金であらわされず、おおくの場合はお客さまがきめている。

という状況で、仕事をかんがえるにあたり、自分はなにをきめていくか…?

 

これは、なぜその仕事をしているか…にも通じるものです。

お金のためと割り切るのも、よいのかもしれません。

ただ、そのお金は、モノやサービスと交換できるから価値があるもの。

つまり、モノやサービス、そして、それをつくっているひとに価値がある…ともいえるわけです。

 

そのひとたちが居なくなれば、モノやサービスもなくなってしまう。

お金を大事におもうなら、そのひとたちも大事にしなければ、交換できるというお金の価値もなくなるわけです。

ひとを大事に…というと、きれいごとに思えるかもしれませんね。。

でも、この道理は、いまの物価高に賃上げがおいついていない現状を説明できるもののはず。

 

いっぽう、100%自分の趣味に走るのも、よいのかもしれません。

人生1回だけですし。

ただ、そのときは「売れないかもしれない」という現実が待っていることもあります。

お金がなければ生きていけないわけで、いずれ折り合いをつける必要があるのかもしれません。

結局は、お金が必要…と。

 

そのお金は、モノやサービスと交換できるから価値があるもの。

お金の実質的な価値は、そのモノやサービスの向こうにいるひとたちにあるわけです。

…ということを、なにかを決めるときの、一つの要素にしてみるのはどうでしょうか。

 

※ 記事作成時点の情報・法令に基づいています。