お金を「使う」と「使われる」の違い
お金を使うためには、「お金が好き」と言えることが必須かもしれません。
たとえば子どもの時に、欲しいもののために貯金をしていたときの純粋な…ですよ。
お金を使う理由は?
お金は、持っていなければ使えないもの。
欲しいもの・やりたいことがあっても我慢しなければなりません。
当然といえば当然なんですけれどね。
いっぽう、持っているときは、どうでしょうか。
つぎの収入がみえているなら、「そこまで持てば」という使いかたをするかもしれません。
あぶく銭のように感じるお金なら、一晩で使い切るなど、もっと潔く。
もちろん、なかには計画的に使うこともあると思いますけれどね。
お金は、なんにでも化けられるもの…のように感じることもあります。
それを持っていれば、ほとんど全てのことが可能になるような。
魅力もあって、誘惑もたくさん。
がゆえに、争いのもとになることも。
そんなお金の使いかたから、懐事情が分かってしまうようなことになっていないか。
パッとつかえば、「きっと、たくさん入ってきたんだね」などと。
お金がないことを我慢していれば、入ってきたときは反動が起こることもあるでしょう。
少しくらいなら、誰にでもあることだと思います。
ただ気になるのは、お金を使うそもそもの理由。
それが「お金があるから」になっていないか…ということなのです。
お金を使うとは
お金がないときに我慢しなければならないのは、当然です。
でも、基本形な姿勢として、お金のある・なしによりお金の使いかたが変わるなら。
それは、じぶんがお金に使われているようなもの…ではないでしょうか。
すこしまぎらわしいのは、お金はじぶんに何かをもたらす道具だということ。
お金に使われていても、何かしらは手にすることができます。
それを、お金を使っている…と思ってしまう。
かりにお金に使われているとしても、あんがい実感しにくいのです。
では、お金を使うとはどういうことか。
少なくとも、「そのときの」お金のある・なしには左右されないことが必須ではないか…と。
たとえば、欲しいものがあって貯金をするようなとき。
お金が貯まり、いざそれを手にいれたとき、じぶんはどうなるでしょうか。
それぞれにしか分からない、目的のようなものがあるはずです。
その目的のために、お金を使う。
これが理想だと思うのです。
ただ、お金を稼ぐのはとても難しいこと。
がゆえに、お金に使われたり、ほとんど支配されるようなことも起こりうることです。
すると、じぶんがもともと持っていた目的からかえって遠ざかるようなことになりやしないか。
ちょっと気になるのです。
お金が入ってきたとき、出ていくとき。
そこで何かがリンクしているようなことがあるなら、用心してみましょう。
ところで、お金は好きですか…?
お金が好きか
世間の風潮として、「お金が好き」とは表立っていいづらい空気はあります。
どちらかというと、お金は汚いもの…という空気も。
私利私欲がない…というのは良いことだと思いますが、それがこの空気を助長するような面もある。
宗教にも、そういう部分はありますよね。
お金は、だれにとっても生きていくうえで必須のもの。
だから、お金を集めるのが良いことだとすると、苦しむ人がより増えてしまうかもしれない。
ただでさえ、争いのタネになるのに。
そんなことを懸念して生まれた空気なのかもしれないですね。
ただ、その懸念を生むお金とはどういうものか。
お金がなんにでも化けれられるもの…という性質だけをみているのかも。
お金には、感謝をあらわすという側面もあろうかと思うのです。
お金を稼ぐには、だれかの役に立たなければなりません。
その対価として、お金も存在します。
だから、お金をたくさん稼ぐということは、たくさん役に立つということ。
もし現金手渡しなら、役に立った度合いも推測できるかもしれないですね。
でも、仮にすごく相手の役に立ったとして。
ひょっとしたら「ありがとう」と言ってもらえるかもしれないし、入金が異常に早かったり、請求に上乗せしてくれることだって、無いとは言えません。
そんな風にいただくお金を「嫌い」といえるでしょうか。
きっと、逆ですよね。
そんなときは、素直に「お金が好き」と言っても良いのでは。
そしておそらく、そのお金は丁寧につかうはずです。
もちろん、お金に使われるようなこともなく。
お金を使うためには、もしかしたら「お金が好き」という要素も必要かもしれません。
遠めにかんじる目的のために、貯金をしているときの気持ちのような。
じぶんはお金を使っているのか、使われているのか、振り返ってみましょう。
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