自分で気づかない問題とどう付き合うか

なにかをやろうとするとき、落とし穴や盲点が気になることはないでしょうか。

それらとの付き合い方を考えてみましょう。

 

被害が出ないと問題に気づかない

なにかにつけ、落とし穴や盲点といわれるものがあります。

人から言われてはじめて「なるほどな、そうだったのか」と思うこと。

後から振りかえってみたときに、「避けられたはずなのに、なんで気づかなかったかな」と思ってしまうこと。

 

こういうことって、だいたい後になってから気づきますよね。

しかも、なにかしらの被害をうけた後に。

 

税理士は、そうした間違いをしない職業と思われるかもしれませんね。

でも、先日もある数字について扱いを考えていたところ、組みあげた数字を見たかたから言われた一言で、「落とし穴みたいなものにハマっていたかも」と思ってしまうことがありました。

じっさいに手続きなどをする前でよかったな…と。

 

こうした「気づかない問題」には、きっと、たくさんの原因があるんでしょうね。

思い込み、常識、当たり前、過去の経験、環境、正解と間違いだけの2択、自分はちゃんとやっている的な自負、知識や経験不足…などなど。

このようなことのせいで、目の前にあるものが見えないような。

メガネをかけているのに、そのメガネを探している…ような。

 

こうしたことを避けるために、なにか出来ることはあるんでしょうか。

 

どう気づくか 

問題や質問・疑問といったものを持っていれば、それなりにアンテナが立つもの。

なので、自然とおおくの可能性をかんがえるものです。

ただ、それを邪魔するのが、うえにも書いた思い込みや常識などです。

「あり得るはずがない」のが、落とし穴や盲点といわれる所以ですからね。

 

もし、自分のことを客観的にみることができるなら、思い込みなども問題ないのかもしれません。

ただ、自分を客観的にみるということ。

これは、すごく難しいことです。

いろんなところで「客観的に」とは言われるものの、「じゃあ、具体的にはどうするの」についてはサッパリ…

 

だから、いったんは「自分には知らないことがある」あるいは「できないことがある」と割り切る必要があるのかも…と。

頑張っているかたには、かけづらい言葉ですけれどね。

 

ただ、自分ひとりの力には、限界があることも事実だとおもいます。

その限界が個性を生むこともあるし、限界があるとはおもわないことが力を生むこともあるでしょう。

いっぽう、自分はひとりじゃない…ということもあります。

 

いろんな場面で、自分とはちがう意見、目指しているのとはちがう物事ってあります。

自分以外のすべてから出てくるものですね。

そうしたことを、いったんニュートラルな状態になって、受け入れようとしてみる。

 

頑張っているときほど、ニュートラルな状態、先入観をもたないようにするのが難しかったりします。

でも、そっくりそのまま、ありのままに受け入れようとすると、なにかに気づくことがあります。

それが、落とし穴や盲点に気づくことにつながる…と。

三人寄れば文殊の知恵といわれる所以かもしれませんね。

 

失敗の仕方

落とし穴や盲点は、なにかを上手くやろうとするから出てくるもの。

もし、どうでもいいことについて落とし穴などがあると言われても、気にならないものではないでしょうか。

仮にそれらがあったとしても、どうでもいいことなら、痛みを感じないでしょうから。

それらが存在するのは、なにかをちゃんとやっている証拠でもあるわけです。

 

であれば、落とし穴などが気になるだけで、ひとつ自信をもってよいことなのかもしれません。

ただ、その自信とは裏腹に、なにかをやろうとすれば、かならず失敗はついてくるもの。

思い通りにいかなかっただけで、失敗ですから。

ある意味、自分が、自分の失敗を作り上げているわけです。

「○○をする」という基準を持つことにより。

 

だから、失敗や落とし穴・盲点は、ずっと付き合っていかなければならないものでもあります。

それなら、うまく失敗するように気持ちを切り替えるのもアリではないか…と。

そのうまく失敗する方法のひとつに、だれかの言うことを、なるべくニュートラルな状態で受け入れようとしてみることがあります。

自分には知らないこと・できないことがあるという前提とともに。

 

失敗は、なにかをやろうとすれば、かならずついてくるものです。

そもそも、初めてやることは、毎日のようにありますからね。

それを100発100中とは、なかなかいかないもの。

 

であれば、落とし穴や盲点があるにせよ、うまく失敗できるように予防してみましょう。

その予防には、自分で作れるものもありますが、他人が作ってくれるものもある。

自分はひとりじゃないと思うだけで、視点は広がるのかもしれません。