情報は足りないくらいで丁度いい
情報は、どうしても気になってしまうものです。
でも、正解や答えは、自分でつくるもの…と思いましょう。
情報に振り回される
インターネットや新聞、テレビ、本、伝聞。
こうしたところで、情報は、わりと簡単に手にはいります。
- ○○しなければならない
- ○○したほうがよい
- ○○してはならない
- ○○すると…おトク
- 失敗しないためには、○○が必須
こうした情報は、たしかに理屈がとおっていて、納得できるものもあります。
ただ、「○○しなければならない」とか「○○すべきだ」というのは、ときに厄介です。
というのも、これらは、あることに対する「答え」だからです。
それも、自分ではなく、だれかがつくったもの。
くわえて、自分の行動のいろんなところに、ついてくる。
まるで、行動に制限をかけるかのように。
ほんらい、答えというのは十人十色、それぞれの人が持っていてよいものです。
前提となる状況や、そのときに持っているもの、その時々の「○○したい」によって、答えは変わるべきだからです。
また、正解か不正解かも、そのひと自身が判断すべきものです。
常識とか周りではなく。
たとえだれかが「間違っている」といっても、自分が正解だとおもえれば、それでよいのです。
ただ、答えをだすには、考えなければなりません。
そして、考えたからといって、答えがでる保証もありません。
「分からない…」という状態のまま、いたずらに時だけが経つこともあるでしょう。
すると、答えらしきものに、つまり情報に飛びつきがちになってしまいます。
だれかがやっている・言っている…というのは、ある意味、安心材料です。
「だれかは上手くいった」という事実があるわけなので。
また、考えるという過程を飛ばせることが、ラクということもあります。
本当は答えをもっていないのに、それを持っているような気になってしまうのです。
これが「情報が気になる」「情報に振り回される」ことの正体です。
情報は足りないくらいで丁度いい
情報をもっていることと、何かができること。
これらは、まったく別のことです。
どちらが楽しいかといえば、やっぱり「できること」ではないでしょうか。
難しいことのほうが、できたときの嬉しさも大きいですから。
ただ、情報はわりと簡単に手にはいるのにたいし、何かができるようになるのは大変です。
そもそも、それをやるための時間やお金・環境などの余裕が必要です。
くわえて、できない現実を見つめつつ、試行錯誤をくりかえし、検証や反省もくりかえす…
うんざりするものです。
でも、こうした過程で、かならず何かが身につきます。
やりたかったことができるようになる…と、100%断言はできません。
それでも、努力にみあった何かが、手にはいるでしょう。
それも、自分なりの答えといえます。
つまり、あることに対する答えというのは、情報ではなく、自分の行動から導かれるものなのです。
もし情報がすくなければ、そのぶん余計に考えたり行動するものです。
そのほうが、かえって答えまでの距離は近くなるかもしれません。
情報というのは、足りないくらいで丁度いいのです。
自分なりの、自分だけの答えを見つけるためには。
たまには振り返る
いま12月です。
今年1月の自分とくらべ、1年間でなにか変わったでしょうか……?
たまには、こんな風に振り返ってみるのもよいものです。
事業をしていると、どうしても利益やお金に目がいきます。
でも、利益やお金と、自分ができること。
これらは、かならずしも連動しないものです。
利益やお金があるから、できる…とはならないのです。
売りかたや、需要と供給のバランスなどの問題もありますから。
ただ、お金をもっていると、できると勘違いしてしまうこともあります。
情報だけではなく、お金も、じつは厄介なのです。
なるべく純粋に、自分ができること・それがどう変わってきたかを振りかえってみましょう。
お金が増えていくのも、楽しいかもしれません。
でも、自分ができることが増えていく・深くなるというのも、楽しいはずです。
「○○したい」がお金につぶされないように、気をつけましょう。
お金で買えないものの方が、大事ですから。
※ 記事作成時点の情報・法令に基づいています。
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