「得したい」と思ったときのリスク

得したいと思ったときに気持ちがゆらぐのは、あるいみ弱味といえます。

その気持ちに引っ張られると、ときに選んだとはいえない状態になるからです。

 

「得したい」は弱味

「得する」と聞くと、おいしい話かな…と感じるものです。

できれば、自分もあやかりたい…とも。

得することができるのに、みすみす見逃すのは、少数派ではないでしょうか。

 

得することには、いっけん問題がないようにもみえますが、「得したい」という気持ちは弱味でもあります。

その弱味につけこんでくるのが、メリットばかりをうたう広告や、ときには詐欺だったりします。

 

ただ、ひかくてき平和なものだってあります。

身近なところでいえば、たとえばポイントカード。

ポイントをあつめれば、いろんな特典があり、おおくの場合はお金をあつめるのと同義です。

いっぽうで、ポイントのためにお金は出ていきます。

買い物をしなければ、ポイントがつかないので。

くわえて、そのポイントのために、ほかの選択肢を犠牲にしたり、お店にいくために時間をかけることもあるでしょう。

でも、これくらいだったら、楽しいことでもあります。

 

節税も、あるいみ「得する」です。

自然に条件をみたした結果の節税なら、害はなく、たしかに得するといえます。

得するというより、損も得もない適正な税額…が正しい表現ですが。

いっぽう、ムリに利益をへらした結果の節税なら、手取りのお金がへるというデメリットがついてきます。

このムリヤリな節税には、100万円単位のお金がうごくことも、珍しくありません。

となると、被害も大きくなるし、リカバリーも大変になってきます。

 

さらに、「ラクして得したい」と思えば、予想できない被害がついてくることもあります。

詐欺にあうケースのように。

 

本当においしい話であれば、よほど心が清くないかぎりは、独り占めするものではないでしょうか。

「○○さんだけ…」

「○○さんなら特別に…」

もし、「自分に見合ったものしか受け取らない」のなら、こんな話にのることもないはずです。

「得したい」と思うほど、損する可能性もふえていくのです。

「得する」と聞いたときに、気持ちがゆらぐのが、弱味なわけです。

 

弱味ゼロもあり得ない

ただ、弱味、つまり自分の興味があることに気持ちがゆらぐことがゼロ…というのもあり得ないことです。

悟りを開いていないかぎりは。

なんらかの欲があれば、その欲にちかづいたとき、気持ちはゆらぐものだと思うのです。

 

だれでも、「○○したい」や「○○になりたい」「○○がほしい」という欲はあるはずです。

それが人間でしょうし、そうでなければ、きっと起業もしなかったのではないでしょうか。

 

となると、弱味がある前提で、ものごとにあたっていく必要があります。

損しないため…とはいいません。

損のなかには失敗もふくまれますが、失敗があるから成功もあるわけで。

このくり返しで、近づいていくわけです。

 

ただ、失敗するにもコツみたいなものはあります。

それは、ちゃんと失敗すること、つまり頑張ったあげくの失敗であること。

それから、立ち直れない失敗はしないこと。

そうでなければ、失敗から得るものがなく、また、次もないので。

 

そのためには、失敗する前に必要なこともあります。

 

良いことも悪いこともおなじように

とくに、立ち直れない失敗をさけるためには、ものごとのデメリットも知っておく必要があります。

いっぽうのメリットは、放っておいても、ある程度は自然にはいってきます。

でも、デメリットは、ときに意識していないと抜けがちです。

自分にとって嫌なことは、できれば触りたくないし見たくないのが自然ですから。

その嫌なことが、デメリットなわけで。

 

なので、メリットだけに引っ張られないように気をつけましょう。

できれば、デメリットも、メリットとおなじくらい煮詰めてかんがえる。

そうでなければ、「選んだ」とはいえません。

 

もし、自分で選んだ結果なら、受け入れることができます。

「しょうがない…」と。

そして、受け入れることができれば、つぎの一歩も早くなります。

なので、メリットもデメリットもおなじように見ておく必要があるのです。

 

おうおうにして、世にある情報はどちらか一方にかたよりがちです。

情報をだす側の意図もあるので。

 

でも、そうしたものは鵜呑みにせず、自分でかんがえるようにしましょう。

自分にも弱みがあることを自覚しつつ、良いことにも悪いことにも、かたよらずに。

そうでなければ、選んだとはいえません。

経営とは、選ぶことの連続ですから。

 

※ 記事作成時点の情報・法令に基づいています。