「数字をつかうと人生が変わる」は大袈裟か

数字をつかうということは、計算や損得のためだけではありません。

筋道のとおった考えかたができるようになるのが目的です。

それが理解や納得をうむなら行動が変わるはず。

 

行動の原因ときっかけ

われわれ人間が行動するときには、いろんな原因があります。

意識している・していないにかかわらず。

その原因には、たとえば次のようなものが。

  • 本能……呼吸、寝る
  • 必要……食べる、仕事をする
  • 欲求……遊ぶ、欲しがる
  • 義務……税金の申告とか
  • 価値観……○○すべきだからする
  • 習慣……ハミガキ、仕事のあとの一杯
  • 感情……好き嫌い、楽しい・つまらない
  • 損得……儲かる・儲からない、あえて度外視も
  • 納得……やる気
  • 理解……やりやすくなる
  • 勘、第六感

 

きっと他にもたくさんあるんでしょうね。

ただ、原因をふまえて、行動の内容・結果をおおきく分けるのは次のことではないか…と。

  • じぶんで決めたか
  • ひとから言われたか

 

もし決めたのがじぶんなら、よほどのことがない限り、やり通せるもの。

目指した結果にたどり着くまで、問題や障害はあるかもしれません。

それでも、試行錯誤をかさねて頑張るものではないでしょうか。

あまり重要でないと感じたら、止めるという選択肢がありつつも。

 

いっぽう、だれかに「やれ」と言われたときには、抵抗があるものです。

心の底から協力はできない感じがしますよね。

たとえば宿題や義務的な仕事、税金の申告なんかもそうかもしれないですね。

もちろん、言われたのが尊敬しているひとだったら、ガラッと変わることもありますけれど。

 

さて、行動するということは、時間をつかうということ。

その時間は有限です。

できるなら、より多くのことを自分で決められれば…とおもいます。

そうでないと、じぶんの人生とは感じられないでしょうから。

 

じぶんが決めたという前提で、どんな原因で行動をしているか。

つまり、どんな原因で時間をつかっているかを振り返ってみましょう。

 

数字がつくるもの

じぶんで「何かをしよう」と思えるときには、どんな原因があるでしょうか。

  • 欲求、感情……○○したい
  • 必要……○○しなければならない
  • 価値観……○○すべき
  • 損得……○○のほうがよい
  • 納得……○○する
  • 理解……○○すればよい

 

ラクして楽しく過ごしたいとおもうなら、100% 欲求や感情にしたがうのかもしれません。

ただ、なにかが出来るようになるためには、たしょうは苦労や失敗もつきものです。

そんなときは、必要や価値観も大事なようにおもえます。

じぶんを律することもなければ、成長できないですから。

どうしてもラクなほうへ流れていきがちですし。

 

そして、経営の場面でもかかわってくるのが、損得や納得・理解です。

もちろん、欲求や感情にしたがって経営するのもアリでしょう。

ただ、経営のキモのひとつには、お金があります。

そのお金をあつかうには、どうしても数字が必要。

なんとなく…でやっていて、お金が足りなくなっては困りますから。

 

その数字が、損得だけでなく、納得や理解をつくってくれることもあります。

たとえば、売上と経費。

もろもろの経費をつかったから売上があがり、そして黒字や赤字になった。

この仕組みが分かるのが、理解です。

そして理解ができれば、納得するもの。

理解して納得するために存在するのが、数字なのです。

なぜなら、矛盾をなくすのが、数字の特性でもあるので。

理解や納得は、矛盾がなくなったときに生まれるものですから。

 

数字というのは、単体では意味をもちません。

売上と経費のように、比較したり関係をかんがえるときに意味をもってきます。

○○すると△△になる…という風に。

その結論をみちびく途中で、「もしも」と仮定したり、「でも」と否定したり、「なぜなら」と理由をかんがえたりします。

それらの筋道がとおると矛盾がなくなり、うえのような結論がでてくるわけです。

 

数字をつかうというのは、計算や損得のためだけではありません。

むしろ、考えかたに筋道を通すためのものだったりするのです。

それが理解や納得につながるので、行動することの原因にもなる。

 

ただ、事業をとりまくすべてのことが数字であらわされる…とは限りません。

「分かっちゃいるけど…」っていうこともありますもんね。

また、お金がすべてじゃないと感じることもあるでしょうし。

ただ、じぶんから何かをしようとするとき、理解や納得がカギになることも事実だとおもうのです。

 

「数字をつかうと人生が変わる」は大袈裟か

行動が変わると、人生が変わるのは本当のことではないでしょうか。

もちろん、結果がともなわない行動だってあります。

ただ、行動しなければ、絶対に結果はついてこないもの。

 

なにかの幸運を願って待つ…というのは、どうなんでしょうね。

そんなこともあってよいのかも…とは感じます。

でも、買わない宝くじを「当たって」と願っているようにもおもえます。

やはり、じぶんが望むほうへ人生を変えるには、行動が必要。

 

その行動の原因のなかには、理解や納得もふくまれます。

もし、数字をつかうことで理解や納得が生まれるなら、数字をつかうと人生が変わるといえますよね。

けっして大袈裟ではないようにおもいます。

ただ、数字「だけ」ではなく、数字「も」といったところでしょうか。

 

筋道たてて考えるのは、面倒に感じるかもしれません。

それに、決算書などをながめても、それは過去のこと。

その過去が変わるわけでもないです。

ただ、それをヒントに考えてみれば、理解や納得が生まれるかもしれない。

それが、つぎの行動を変えることもあるかもしれないですよ。

数字をきっかけに「なぜこうなっているのか」と考えるところから始めてみましょう。