決算書などの数字は作るものではなく食べるもの
数字を、料理におきかえて考えてみましょう。
作ろうとしていないか
「決算書が読めない…」「数字は苦手…」と気になることもあるかもしれませんね。
それを克服するために、簿記の勉強をするというのも、たしかに一つの方法です。
わたしも、本音をいえば、日商簿記3級のテキストくらいは、試験のことはさておき、サラッと目を通すくらいはしてよいかも…とおもっていますし。
でも、それと同時に、簿記の勉強がかえって「分からない」に拍車をかけるようにも感じます。
もし、勉強がすんなり進むようなら、問題はありません。
いっぽう、どこかでつまづくようなことがあれば、かえって簿記から離れる原因にもなるような。
そんなときは、「分からない」など苦手意識の存在も大きくなってしまいますから。
経営というのは、つまりはお客さまをつくることの連続。
でていくお金よりも、はいってくるお金を多くする。
細かいことはさておき、これができているなら、数字のことがよく分からなくても、困らないかたもいるんじゃないか。
そういう考えかたもアリだとおもうのです。
それに、簿記というのは、数字を作るための技術です。
食べ物でいえば、「料理」ですね。
簿記の勉強をして、かえって数字から遠ざかってしまうこと。
これは、料理の勉強でつまづき、それが食べられなくなるようなことです。
それでは本末転倒ですよね。
数字というのは、食べるためのもので、料理が目的ではないのです。
(もちろん、自分で料理できることも、いいことですよ)
その食べるときのことも、考えてみましょう。
数字を食べるとは
食べ物を食べたとき、「美味しい」とか「マズい」とか…ほかにもきっと、感想をもちますよね。
これは、数字も同じです。
まずは食べたときの感想を
なにを美味しく、あるいはマズく感じるかは、経営者次第。
利益が欲しいとおもっていれば、その通りに利益がでたときには美味しくかんじるはずです。
いっぽう、赤字を目指したり、あるいは税金が少ないほうがよいと思っていれば、おおきな利益はマズくかんじるはず…と。
また、食わず嫌いということもあります。
利益が欲しいと思っていたものの、実際にはらう税金をみたとき。
あまりの金額に愕然とした…ということもあるかもしれません。
すると、美味しいとおもっていたものが、じつはマズかった…と。
そして、これの逆のこともあるでしょう。
いずれにしても大事なのは、食べて感想をもつことです。
美味しいと思えば、また食べたくなります。
マズいと思えば、二度と食べたくなくなるはずです。
また食べたい…とか、二度と食べたくない…という感想が、じつは大事なのです。
その感想があれば、将来の行動が変わるので。
現実でも、美味しいお店には、何度も通ったりしますよね。
違和感も大事
そして、決算書などにのっている数字は、自分の経営、つまり行動の結果。
材料は、自分が提供していることも忘れてはなりません。
経理をだれかに依頼するのは、自分で釣った魚や育てた野菜を、だれかに料理してもらい、それを自分で食べることなのです。
すると、自分で釣った、あるいは育てたならではの感想もでてくるはず。
それが、数字の違和感です。
たとえば、たくさんのお金や時間、そしてスケジュール調整などをして、やっと時間をつくり、はれて魚釣りにいけた。
そこで釣れた魚には、やっぱり思い入れがあるとおもいます。
その魚を持って帰ってきて、いざ食べてみたら、そこまで美味しく感じない。
「料理のしかたが悪いんじゃないか…?」と。
これを経営におきかえてみれば。
苦労してとってきた仕事なのに、粗利をみてみたら、そうでもない…
「経理が間違っているんじゃないか…?」
こうした感想をもてるのは、材料を自分で提供しているから。
そして大事なのは、自分の思いと数字のギャップに気づくことです。
思い入れも大事ですが、数字は嘘をつかない…ともいいますから。
ただ、盛りつけが悪いとは思わないようにしましょう。
盛りつけは気にせず
料理の盛りつけは、数字の見かけをよくすること…といえます。
たしかに、商品の仕入が旅費交通費になっていたりしたら、あまりにもいい加減な盛りつけです。
熱いものも冷たいものも、あるいは辛いものも甘いものも、一緒くたになっているような。
こうしたことは、避けなければなりません。
食べても、味が分からなくなりますから。
あるいは、選り分けをしつつ…と、食べるのが大変ですし。
ただ、そうした「整える」範疇をこえて、見かけをよくするための盛りつけは、ときに粉飾です。
たとえば、見た目がわるい材料をなんとかするため、必要以上のソースをかけて、それを隠す。
そうなれば、材料の味は分からなくなるかもしれません。
すると、材料の良し悪しも分からなくなる。
美味しい、マズいの判断も違ってくるでしょうし、自分が材料をもってきた…ならではの違和感もなくなってしまう。
うえにも書いた数字の目的が、なくなってしまうわけです。
現実の食べ物はともかく、経営における数字では、素材の味を楽しむようにしておきましょう。
まとめ
決算書などの数字は、食べることが目的のものです。
食べてみて、美味しいとかマズいという感想をもつこと。
自分がその材料を提供しているわけなので、それに由来する違和感がないかどうか。
こうしたことが、自分の将来の行動を変える。
それが、数字の目的ですから。
もし、自分で数字が作れる、つまり料理ができることも、それは良いことです。
魚をさばいたり、野菜をきっているような間に、そこからも発見があるでしょうから。
ただし、あくまでも食べることが目的なのを忘れないようにしましょう。
数字から、経営の栄養をとること。
すると、経営も育っていきますから。
※ 記事作成時点の情報・法令に基づいています。