お金は我慢して稼ぐものなのか

お金を稼ぐため、どうしても仕事はしなければなりません。

その仕事についてまわる我慢のイメージは、あって良いものなのでしょうか。

 

お金は我慢して稼ぐもの

生きていくうえで、お金はどうしても必要なもの。

いちおう自給自足の道もないわけではないです。

ただ、いきなりそんな環境に放り込まれても困ってしまうのが普通なので、現実的ではない。

やっぱり、人とかかわれる場所で、なんらかの仕事をしてお金を稼ぐ。

これが、多くのかたが選ぶ道です。

 

つまり、先にお金があり、それを得る手段として、仕事が後にある。

これが、いわゆる常識かもしれませんね。

だから、仕事をえらぶ際には、お金も重要な基準。

 

でも、仕事をしていれば楽しいことばかりでもありません。

かりに好きで始めたとしても、毎日だとうんざりすることもあったりしますしね。

食べ物なんか、きっとそうではないかと思います。

特定の食べ物だけを毎日…とか、飽きるということもありますもんね。

 

そうした楽しいとは反対のことや飽きるが増えてくると、我慢するような場面も出てきます。

すると、「お金は我慢して稼ぐもの」と思ってしまったりも。

仕事に関連して、「石の上にも3年」という言葉が引き合いに出されることがないでしょうか。

我慢…というイメージですよね。

その我慢が受け入れがたいから、ラクして稼ぐことが注目を集めるのかもしれません。

ただ、仕事の本質ってなんでしょうか。

 

仕事とは

仕事とは、だれかの役に立つことです。

困っていることがなくなったり、欲しいものが手に入ったり…など。

悩みを解消したり、欲求を満たす。

その代わりに、お金を受けとります。

 

もしお金が存在しなかったら、どうなるでしょうか。

役に立ってもらったとき、代わりにその場で自分が何かをすることになります。

そうでなければ「役に立ってあげるよ」とは言ってくれないでしょうから。

それを回避するために、お金がある。

 

お金は、だれかの役に立ったから手に入るもの。

お金をつかうときは、だれかに役に立ってもらう。

お金を介して、「役に立つ」が交換されているようなもの。

お金は、交換のための道具といえます。

 

そのお金をより多く手に入れるには、どうしたらよいのか。

そのためには、次のようなことをかんがえる必要がでてきます。

  • 自分はどんなことで役に立てるのか
  • 自分の力を発揮できる相手や場所はどこにあるのか

 

おおきく分ければ、自分のことと相手のこと。

このうち自分のことでカギになるのは、能力を発揮できるかどうか。

そのときに、我慢が能力の発揮に蓋をすることはないでしょうか。

 

自分の力を発揮するには

仕事について「楽しく」というのは軽々に言えることではありません。

どんなかたも、見えない苦労をして、また時間もかけているでしょうから。

それを、「楽しく」だけで乗り越えられるとは思わないのです。

 

でも、能力の発揮をかんがえたとき、「好き嫌い」は大きく影響してくるんじゃないか…と。

好きなことをしている時間は、早く過ぎるもの。

いっぽう、我慢しているときは、なかなか時計が進まない。

かりに両者でおなじ時間をつかうなら、好きなことをしているときのほうが、より多くのことが起きると思うのです。

興味の数がちがうでしょうから。

すると、とうぜん結果もちがってきます。

 

もちろん、好きで始めたとしても、それがずっと続くとはかぎりません。

ただ、おなじ好きがずっと続かなくてもいい…と考えてもよいのかも。

明日は、違うものが好きになってるかもしれないですし。

 

より多くお金を稼ぐには、自分だけでなく、相手のことも考えなければなりません。

その相手を、より多く集めるには。

相手をひきつけるだけの強い動機をうちだすことも大事です。

ひとが集まるときは、共鳴もカギですから。

 

その動機は、我慢ではなく、好きから生まれるものかもしれません。

と考えれば、先に仕事があり、お金は後からついてくる。

こんな風に考えるのもアリだとおもうのです。

そうすれば、より自分の力を発揮でき、より自分の時間を過ごしていると感じられるのかも。

お金はどうしても必要なものです。

ただ、我慢がゼロになることはないとしても、すこしは疑ってみましょう。