数字が苦手だから経営が出来ない、とはならない理由

数字が苦手というのは、算数や数学のテストからきているのではないでしょうか。

でも、やり方や考えかたに目を向けると、算数的・数学的なものは経営に活かせるのです。

 

数字の役割

数字がある・ない、で変わることがあります。

数字があるから、次のことができるのです。

  • 時間や量、金額をあらわすこと(定義づけ)
  • 説得力が増す
  • ものごとを比較できる

 

時間や量、金額などをあらわすこと(定義づけ)

時間は、「○時」というように数字であらわします。

数字がなかったら、日の出のとき・腹が減ったとき……というような表現にならざるを得ません。

場所や人・季節により変わってしまうため、約束はできず、集団行動もできません。

 

飲み物などの量についても、困ってしまいます。

たとえば「革袋にはいる分」と表現しても、その革袋自体のサイズがまちまちでしょうし。

おなじように金額についても、困ってしまいます。

数字がなければ、そもそも貨幣を流通させることができないかもしれませんね。

 

このように、もし数字がなかったら、今おこなっている生活は成り立たなくなってしまいます。

数字があるから、たとえば「10時」という状態をあらわすことができます。

そして「10時」といえば、日本全国どこでもおなじ状態です。

数字は、あるものごとを定義づけるものだといえます。

 

説得力が増す

たとえば「売上がたくさん増えたら、ボーナスを出すよ」と言われたとき。

なかには、「ホントかな…?」と感じるかたもいるでしょう。

 

いっぽう「売上が1,000万円増えたら、30万円のボーナスを出す」と言われたとき。

グンと期待感は高まるはずです。

だれかの匙加減で決まる訳ではない……という客観性があります。

くわえて、売上を増やすための方法も考えやすそうです。

 

言葉のなかに数字をまじえることで、説得力が増すのです。

だれかを説得するときに、気持ち・感情の面からうったえることもできます。

でも、数字の力も、やっぱり大きいものなのです。

 

ものごとを比較できる

数字は、単体では良し悪しを判断できません。

 

たとえば「利益1,000万円」。

もし、前期の利益が「2,000万円」だったら、半分もへっています。

もし、借入金の返済が「1,200万円」あったのなら、十分とはいえません。

 

このように、数字は比較するから意味をもってくるのです。

また、比較をくり返すことでも、さらなる意味がくわわります。

 

たとえば、利益のもとになる売上や経費もろもろ。

これを、時期や取引先ごとの売上、経費一括ではなく○○費ごとに細分化。

さらに前期のものとそれぞれ比較する。

すると、どこが良くて・どこが悪かったかということが見えてくるでしょう。

 

比較する。比較をくり返す。

これは数字があるからできることです。

 

ここまでのことは、「数字が苦手」と感じているかたでも、おそらくやっているはずです。

もしかして、数字が苦手と感じる原因は、学校でやった算数や数学にあるのではないでしょうか。

 

数字が苦手だから経営が出来ない、とはならない理由

算数と数学。

どちらも似たようなものですが、あるていどの違いはあります。

 

算数の目的は、計算方法など数字にかんする基本的な知識や技能をおぼえること。

思考力や判断力が、なくてもよいわけではないです。

それも目指してはいますが、シンプルにいえば「テストで正解すること」が目的です。

ちゃんと計算できること、が目的なのです。

 

いっぽう数学も、「テストで正解すること」が目的のような面もあります。

受験戦争など、そうですし…

でも、正解までのプロセスが、より重視されます。

 

数字が苦手と感じるのは、「テストで正解できない」ことが原因ではないでしょうか。

 

ただ、数学というのは、ほんらいはテストで正解することが求められるものではありません。

数学で出てくるいろんな公式・定理をかんがえてみましょう。

これらはすべて、誰かが発明したものです。

その発明とは、つまり次のようなことです。

  • なんだかよく分からない状態を、だれかに説明できる状態にした

 

数学の授業では、これらの公式などをなぞって覚えるものです。

でも、本当に大事なのは、その結論にいくつく過程や、いくつくための方法です。

数学の授業でおこっていることではなく、数学者といわれるかたが送っている生活が、きっと本当の数学でしょう。

 

あらゆる公式が発明される過程、つまり考え方は、経営にも活かせるものです。

人によっては、知らず知らずのうちにやっているかもしれません。

その過程は、たとえば次のとおりです。

  • 問題を特定する
  • 問題を掘り下げる
  • 答えを検討する

 

もしかしたら、過程は人ぞれぞれかもしれません。

でも、なんだかよく分からない状態から始めて、原因と解決策をあきらかにすることが数学です。

これは経営そのものではないでしょうか。

 

もし利益を増やしたいなら……

  • どれくらい増やしたいのかハッキリさせる
  • それにおうじて売上や経費を分析する
  • どこを変えるか検討する
  • (出した答えがちがったら、正解にたどりつくまでくり返す)

おおむね、このような過程をたどっているはずです。

 

この過程は、数学の考えかたとそっくり同じです。

ということは、数字が苦手でも、算数や数学のテストで点が悪くても、数学はできるはずです。

数字が苦手。経営ができない。

この2つはイコールではないのです。

 

正解は自分でつくるもの

ほんらいの数学は、正解が用意されているものではありません。

だれかが、なんらかのことに疑問をいだき、その疑問を解決するために試行錯誤などをくり返した結果、その疑問の答えはこういうことだ、ということが起こってきたわけです。

 

これは経営でもおなじです。

なにか問題などがあるときに「どうすべきか」は、本やセミナーなどで情報・知識を得られます。

でも、人それぞれ持っているもの・環境などはちがいます。

であれば、正解も異なるはずです。

 

ただ、正解を求めるにあたって怖いのは、失敗することです。

もし失敗すれば、お金や時間・努力を失う感じがしてしまいます。

なので、失敗しないようなやり方が安全なのかもしれません。

 

でも、そのやり方で、自分が求める正解にたどり着けるものでしょうか。

ゴールがちがうのなら、やり方もちがうはず。

失敗しないようなやり方の先に、正解はないのかもしれません。

 

だれかのやり方で、自分が良いなと思うものを取り入れることは、よいことです。

人類も、そのようにして今日まで発展してきたわけですし。

でも、正解は自分でつくるもの。

これだけは、なにかに譲らずに、覚悟をもって意識しておきましょう。

 

※ 記事作成時点の情報・法令に基づいています。