数字を活用している人は話をするだけで分かる
数字を活用する、つまり数字をつかう人は、考えかたや言葉がちがいます。
具体的な数字がでてこなくても、分かるものなのです。
数字が苦手だとしても
事業をしているなら、いくらかは数字との付き合いも必要です。
どうしても税金の申告などで、決算書や試算表を作らなければならないですから。
ただ、経営者のなかには、数字に苦手意識をもっているかたもいます。
もともと数字に興味がなかったり、算数や数学のテストがよい点ではなかったり、間違うことがイヤだったり…と。
あるいは、口座の履歴があれば問題ない…と思うこともあるかもしれないですね。
結局はお金が大事ですし、お金は増える・減るの2択でわかりやすいですから。
かりに数字が苦手だとしても、それが原因で事業がうまくいかない…とはなりません。
事業では、商品やサービスの魅力、人間関係、立地なども大きく影響し、むしろこれらのほうが決め手となることも多いですから。
でも、数字をつかうというのは、計算ができるとか、○○率のようなものをつかいこなす、複雑な書類を参考にしている…など。
こうしたものとは別の次元のことなのです。
数字をつかうと変わるもの
数字をつかうというのは、算数ではなく、数学に近いものがあります。
算数を「計算をする」ことだとすると、数学は「考えかたをつくる」ようなもの。
学生のときの数学は、公式などを覚えて、計算問題に正解をだすことが多いはず。
だから「計算をする」というイメージが強くないでしょうか。
でも、その計算をする過程をおもいだしてみれば、つぎのようなことをしていたはずです。
- 定義
- 否定
- 仮定
- 条件
- 理由
- 結論
たとえば、変わった形の面積をもとめる問題。
それを解くまえに、三角形とか四角形だったら計算方法の「定義」をもっていたはずです。
ただ、その定義だけでは通用しないんだな…といったんは「否定」される。
その否定された状態でも手がかりをさがしていくと、もしかしたら…という「仮定」をおもいつく。
その仮定はあっているのかを知るには、どんな「条件」を満たすのかを検証しなければならない。
ここまでを整理すると「理由」がととのいます。
あとは計算をすれば「結論」つまり答えがみちびかれる。
こう書くと、ながく複雑におもえるかもしれませんね。
でも、わりと自然に頭のなかで考えていたのでは。
つぎのような言葉を交えつつ。
- 定義……見ればわかる
- 否定……でも
- 仮定……もしかしたら
- 条件……○○なら△△になる、または、および、かつ
- 理由……まとめると、なぜなら
- 結論……つまり、だから
もし、うえのような言葉をつかいつつ話をしているなら。
具体的な数字をまじえずとも、それは数字をつかっている…といえます。
理詰めというと抵抗があるかもしれませんが、数字をつかうというのは論理的であることですから。
でも、経営の場面では、わりとよく出てきます。
- 定義……いまの売上は800万円
- 否定……必要な利益をだすには足りない
- 仮定……もし追加で300万円の売上があるなら
- 条件……粗利や追加の経費によっては足りない
- 理由……粗利率に変動がなければ、300万円の受注をすることで今期は乗り切れる
- 結論……受注を増やすための方法をかんがえる
数字をつかっていれば、うえのような考えかたをします。
だから、つかっている・いない…というのは、会話をすれば分かることでもあるのです。
話のながれや組み立てかたから。
数字をつかっていないと、ときに話が飛んだり、ごり押しもあったり…と。
もちろん、話の前提になる数字は、会計ソフト入力など経理によらなければなりません。
そして、その数字の意味をしるには、できればすこし複式簿記の知識もあったほうがよいです。
ただ、それを勉強するかどうか…
勉強にも2種類ある
学生のときの勉強と、おとなになってからの勉強には、あきらかな違いがあります。
学生のときは「なぜ勉強するのか」と感じるもの。
いっぽう、おとなになれば、じぶんの興味や関心がきっかけになる。
おとなの勉強は自然にすすむので、ほうっておいても良いとして。
問題は「なぜ勉強するのか」という疑問です。
言い換えると、あとで役に立つことが分かっているなら、はたして勉強をするのか…と。
なかには、先に勉強があり、あとから役に立てかたを考えるものがあってもいいんじゃないか。
むかし算数や数学の勉強をしていたことを振り返ると、そんな風にもおもえます。
気がついたら、数学的な考えかたをしていたかも…と。
もちろん効率的とはいえないので、断言はできませんよ。
それに時間は有限ですからね。
なにに、どれくらいの時間をかけるか…を決めるのは大事なことです。
ただ、「10」勉強するとして、すべてがじぶんの興味によるのではなく、「0.5」くらいは誰かが良いというものに費やしてみてもよいのかも。
成長は、なにが・どこで・どうつながって起こるものか分からないですから。
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