幸運の裏返しは弱さ。その弱さも忘れない。

幸運を喜んでいるだけだと、自分の弱さはそのままです。

 

幸運の誘惑

 幸運、ラッキー、ツイてる。

こうしたことが自分の身にもおこってくれないか…という誘惑は強いものです。

 

ゆえに、つぎのようなタイトルで、おおくの情報やグッズ・本・広告などが出回ってもいます。

  • 幸運を引き寄せる
  • 幸運を呼び込む
  • 開運、運気アップ

 

わたしもそうですが、誰しもが、多少は影響をうけたことがあるのではないでしょうか。

幸運になりそうな言動や習慣・行動などについて。

また、過去にいいことがあったときなどは、ゲン担ぎなんかも気になったりするものです。

うっかり忘れたときなんかは、やり直し…と。

 

その幸運をめぐっては、歴史をふりかえってみても、いろんなことが言われてきました。

ふるくから、幸運を手にしたい人は数多くいたわけです。

 

ただ、幸運とは、いまの自分には手にすることができないこと、あるいは手にできなさそうなこと。

こう言い換えることもできます。

心のどこかで「ムリかもな…」と思っていたのに反して、良いことが起きたときに、それを幸運だととらえるのだろう…とおもうのです。

そう考えると、幸運を100%よろこぶべきなのか…という疑問もでてきます。

 

幸運を感じるということ

なにかしら幸運だと思えることがおこったときには、過去の自分のなかに「ムリかもな…」と感じていたことがある…といえます。

あるいは、「そんなことは起こらないだろう…」とも。

そう感じていたことの反対が、幸運だからです。

 

幸運は、素直にうけいれるべきもの…ともおもいます。

いま、ここまで書いてきたような理屈をこねていますけどね。。。

ただ、「ムリかもな…」とか「そんなことは起こらないだろう…」と感じること自体に、問題はないか…?

 

こうしたことは、なにかが上手くいかないときには、どうしても出てくるものです。

愚痴のように、おそらく自然に。

そして、何かをやればやるほど、増えてもくるものです。

 

これは、弱さともいいかえられます。

瞬間的あるいは過程だとしても、上手くいかないことに負けている…と。

幸運を感じるということは、自分のなかに弱さがあることの裏返しでもあるわけです。

 

強くありましょう…とは言いません。

わたしも弱いですから。

ただ、幸運との付き合いかたは、考えたほうがよいとおもうのです。

幸運をかんじるときは、バランスを崩している可能性があるので。

 

幸運との距離

幸運をかんじるときは、嬉しさ・喜びがほぼほぼ100%です。

このときは、「ムリかもな…」とか「そんなことは起こらないだろう…」と考えていた自分を忘れていることがおおいはず。

これを、バランスを崩す…と表現しました。

 

世の中には、結果がすべて…ということもあります。

ただ、これは周りのひとにとってのこと。

 

自分にとっては、自身の力で「できた」とか「やり遂げた」ということのほうが重要です。

自信にもなるし、「できた」後のつぎのレベルというか次元のようなものもあるからです。

幸運にたよったときは、自身の力はついていなかった…ということもあるので。

 

幸運、ラッキー、ツイてる。

こう感じることがまったくない人生も、味気ないかもしれません。

すこしは感じてもいいとおもいます。

 

でも、それがなかったときの自分自身の力はどうなのか…という視点を忘れないようにしたほうがよいと思うのです。

結局は、頼りになるのは自分だけだったりもしますし。

人間ひとりで生きてはいけないとしても。

 

となれば、幸運がおこっても気にせず、淡々と、地道に積み重ねていくことが大事です。

運・不運にすこし鈍感になるような。

すると、自分にたいして純粋にいきていけるように思うのです。

 

自分がやりたいこと。

これが、運・不運でまぎれていないか…。

ときに振り返ってみましょう。

 

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