その経営は勝負なのか博打なのか
経営は勝負にもなりうるし、博打にもなりうるものです。
両者のちがいは、ギリギリまで自分の頭で先を読んでいるか…にあります。
勝負と博打
プロの将棋打ち、つまり棋士は、1手をなかなか指しません。
持ち時間をつかいきり、1分以内に指さなければいけないときでさえ、50数秒くらいまで粘ります。
きっと、ギリギリまで先を読むんでしょうね。
勝ち負けにこだわるから、自分で納得できる手を指したいんだろう…とおもいます。
勝負をして、勝つことが生業でもありますし。
そんな彼らのことを、勝負師と呼んだりします。
ただ、博打打ちと呼ぶことは、ないかも…
その博打から連想されるのは、たとえば「丁か半か」。あるいは、競馬などのギャンブル。
これらは胴元が勝つようにできているので、やればやるほど負けるのが道理です。
胴元が持っていくぶんを考えれば、純粋な勝負とはよびにくいもの。
結局のところ、勝つのは胴元だけかもしれないですし。
映画などでは、丁半博打のまえに「いざ、勝負!」なんて掛け声を聞きますけどね。
なので、博打で勝つことには、運やイチかバチか…といった「天に身を任せる」ようなイメージがついてまわります。
いっぽう、将棋にも、指運という言葉もあるので、運の要素はあります。
ただ、博打ほど天に身を任せるのではなく、基本的にはギリギリまで自分がおもう良い手を探すものです。
これが、勝負と博打の違い…かもしれません。
自分自身で先を読むかどうか…と。
経営は勝負なのか博打なのか
経営は、勝負にもなりうるし、博打にもなりうるものです。
なにをもって勝ち負けとするのか…はむずかしいですけどね。
ただ、もし希望すること・やりたいこと・なりたいこと…などがあれば、それが達成できるかどうかが勝負または博打といえそうです。
このとき、できれば博打は避けてほしいとおもいます。
博打になれば、どれだけ勝つか・どれだけ負けるかが読めません。
そして、致命傷を負ったとき、再起するのがむずかしいのが現状です。
なので、できるなら勝負であってほしいとおもうのです。
その勝負のカギをにぎるのが、自分自身で先を読むかどうか…です。
- もし○○すると、どうなるか…?
事業にはヒト・モノ・カネが必要ですが、これらすべてについて、先を読む必要があります。
とはいっても、ものごとはやってみなければ分からない…という面もあります。
それに、いつもいつも細かいところまで読む必要もないかもしれません。
なので、ざっくり…でも良いとは思います。
でも、すくなくとも次のことは読んでおきましょう。
- つぎの決算はどうなりそうか
- 来月、お金が足りなくなることはないか
つぎの決算については、会計ソフトから推移表をExcelにダウンロードし、空欄になっているところに、いま判明していることや過去を参考に数字をいれていけば、目安はつくれます。
いっぽう、お金のことについては、資金繰り表をつくりましょう。
つぎの決算とおなじように、そこまでの実績の資金繰り表をコピーして、予測の数字をいれていけば、目安がでてきます。
勝負は始まる前にきまっている…という言葉もあります。
先を読むことも大事だとおもいましょう。
まとめ
経営は、勝負にもなりうるし、博打にもなりうるものです。
もし博打をさけたいなら、先を読む必要があります。
この先を読むということは、自分の頭のなかで汗をかくようなもの。
欲しいと思っても、すぐに手に入るものでもありません。
なので、定期的につぎの決算はどうなりそうか…など考えてみましょう。
おうおうにして、失敗のタネは上手くいっているときに生まれるもの。
いざ失敗するかも…という場面であわてないように、常日頃から気にしてみましょう。
※ 記事作成時点の情報・法令に基づいています。