困ったときに頼りになるのは身近な情報

知識や情報など、いわゆる正解は、考えることを邪魔することがあります。

大事なのは、自分だけの正解です。

 

知識や情報であふれている

「困ったことがあるんだけど、どうしよう…」

こんなとき、ついつい正解を探してしまいます。

あるいは、正解までまっすぐの道のりを。

 

その正解や正解までの道のりとは、知識や情報・そしてモノのこと。

「こうすれば、大丈夫」というものです。

どれも、世の中にはたくさんあるような感じを受けます。

 

でも、これは正解を外に求めるようなこと…ともいえます。

あるいは、誰かが決めた正解にしたがう…とも。

 

良し悪しはともかく、小学校から高校まで、すくなくとも12年の間にうけるテストなどで、正解を外にもとめる癖がつくのかもしれません。くわえて大学でも。また税理士試験もおなじく。

なので、そうなってしまうのも、しょうがないのかな…と考えてしまいます。

こうした教育は、もちろん大事なんですけどね。

それが無かったら…と考えれば、恐ろしいことですし。

 

ただ、そうした癖からでてくるのが、次のようなこと。

  • 知らないと恥ずかしい
  • 持ってないと恥ずかしい
  • 間違うと恥ずかしい

こうした考えは、どうなんでしょうか…?

 

考えること

恥ずかしいと感じるのは、正解をもっていないから。

でも、その正解って、そもそもどうやって出てきたものなのか…?

 

正解の前には、かならず疑問なり問題なりがあります。

その問題などにたいする答えが、正解なので。

問題などについて、いろいろ考えたり試行錯誤した結果、でてきたものが正解です。

つまり、問題と正解の間には「考える」という過程があるわけです。

 

正解をもとめる癖とは、ひょっとして「考えない」癖だったりしないでしょうか…?

 

もし、考えることを大事にするなら、正解を知らずに恥ずかしい…という感想は出てこないようにも思うのです。

だって、正解をだすのは、とても大変ですから。

それに、正解は人それぞれだってよいもの。

ときには、たくさん失敗して、痛い目にもたくさんあってから出てくる正解だってあります。

自分なりの正解を見つけることができれば、知らないこと・持っていないことなどが恥ずかしい…という感想は出てこないように思うのです。

考えることの大変さが分かっているだけに。

また、問題を問題ととらえるには、時期や環境も関係してくるかもしれませんし。

 

そして、考えることを大事にするなら、知識や情報にとらわれることもなくなるはずです。

自分だけの正解が分かるということは、ほかと違っていてもいい…と分かることでもあるので。

もし、なりたい姿が違うのなら、そのための正解が違うのも道理なはず。

世にある正解は、どんな人がどんな目的のために出したものか…と考えるのも一興かもしれません。

 

ただ、事業をしていれば、問題や気になることはどんどん出てきますよね。

 

頼りになるのは身近な情報

問題や気になることがあれば、早く解消したい…と思うのが自然です。

なので、すぐに正解を…と求めるのもわかります。

ただ、その問題の根源はどこにあるのか…?

 

それは、往々にして自分自身や身の回りだったりします。

そうした身近なところに原因があるのなら、答えもそれをベースに導くものではないでしょうか。

であれば、世にでている正解をさがすのは、ちょっと違うのかもしれません。

 

もちろん、事業をするならお金や時間の問題もあります。

なので、無制限に考えることはできなかったりもします。

 

とはいえ、考えることも大事にしてみましょう。

やりたいこと、なりたい姿は、経営者それぞれです。

であれば、そのための正解も、人それぞれ。

そして、その正解は考えなければ出てこないもの。

知識や情報が、考えることの邪魔をしていないか…気にしてみましょう。

 

※ 記事作成時点の情報・法令に基づいています。