常識と非常識。どちらを目指すか

それは常識なのか、非常識なのか。

こんな観点から、自分や事業を考えてみるのも、面白いですよ。

 

世は常識でまわっている

世の中には、ルールがあります。

そのルールとは、いわば常識。

これを、社会通念ということもあります。

 

たとえば、「国民は、法律の定めるところにより、納税の義務を負う」というのも常識です。

この常識をやぶれば、罰金というペナルティがついてきてしまいます。

 

常識には、そのほかにも色々なものがあります。

ただ、ほとんどの場合、常識どおりにやらないと、罰則があったり、白い目でみられることになる…

あるいは「変なひと」レッテルを貼られてしまったりもします。

普通の感覚でいると、ちょっと生きづらいようなことになってしまうのです。

 

その常識も、一つだけというわけではありません。

場所や業種・業界ごと、あるいは時代ごとに、常識は変わりもします。

でもなぜか、常識をまもらないと生きづらくなるもの。

まもっている人にしてみれば、「自分はやってるのに…」という思いもあるでしょうから。

(ホントはやりたくない……?)

そうした思いの積み重ねが同調圧力にもなり、常識は強くなってもいきます。

 

非常識がダメというわけでもない

非常識がダメかというと、そうでもありません。

むしろ、非常識が存在しなければ、世の中は変わってこなかった…という歴史もあります。

その時々の常識ではないもの・ことが、常識を変えてきたわけです。

発明や新しい考えかたなどがそうです。

 

これは事業においてもおなじ。

いま売れているものは、常識だったりします。

でも、これから売れはじめるのは非常識なもの…ということもあるでしょう。

 

いま自分が売っている商品やサービスが、「常識なのか非常識なのか」という点から判断してみるのも面白いかもしれませんね。

非常識は売りになるかもしれないので。

 

常識のなかにいれば、安全だったり、落ち着くかんじがするでしょう。

でも、非常識が必要なこともあるのです。

 

常識と非常識。どちらを目指すか

たとえば起業は、常識なのか非常識なのか。

安定を求めるなら、お金に困りたくないなら、非常識といえます。

上手くいくかどうか分からないし、それなりの数の廃業が、現実としておこっているわけですから。

そして、だれでも失敗は避けたいもの。

きっと、これが多数派の考えかたでしょう。

 

いっぽう、自分の人生は自分の好きなように生きるのも、常識といえます。

人生は、1回こっきりですから。

でも、こう考えるのは、おそらく少数派。

常識と言い切るのは、ムリがあるかもしれませんね。

常識とは、多数派のものですので。

つまり、起業とは、非常識よりのものなのです。

(準備や状況・習慣などにより、判断が変わることはありますが…)

 

でも、非常識というのは、悪いことではありません。

むしろ、ときには必要なものでもあります。

 

いま自分は、世の常識のなかにいるのか、非常識のなかにいるのか…考えてみましょう。

そして、もし非常識なほうに行きたいのなら、リスクをとるという覚悟はもちましょう。

常識とは、安全をもとめるもの。

その反対が、非常識ですから。

 

でも、準備さえできていれば、リスクも怖くはありません。

怖いのは、おうおうにして「何が起こるか分からない…」ことです。

それが分かっていれば、リスクも回避できます。

 

常識とは、ほとんどがつまらないもの。

いっぽうの非常識は、ときに怖くもありますが、楽しいものでもあります。

目指すにあたっては、覚悟と準備を忘れないようにしましょう。

これらが無ければ、楽しめなくなってしまうので。

ただ、そうした覚悟などがあれば、楽ではないでしょうが、楽しいことになるはずです。

 

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