多すぎる情報とどう付き合うか
情報が多いと、時間をムダにするようなことにもつながります。
選ぶべき情報はなにか、考えてみましょう。
情報だらけ
情報というのは、貴重なものです。
ただそれにしても、多すぎる。
とくにネット情報は、なにか検索すると、すぐにズラッと出てきます。
そのうち一つを読んでみるにつけ、いって無料のものがほとんどですからね。
なにか核心をはぐらかされるようなものだったり、自分のケースには当てはまらなかったり。
と、他のものも読んでみる。
すると、前に読んだのとほとんど同じだったり、あるいは正反対だったりも。
かえって迷うようなことも。
ということで自分なりの確信を得るために、さらにほかのもの、ほかのもの…と続けてしまう。
気がついたら時間だけは過ぎたものの、なにかを得た気にならなかったりも。
こんな風に情報を得たとして、はたして役に立つんだろうか…と。
言葉の限界
たしかに情報があれば、選択肢が増えたようにかんじます。
ただ、それを活かすには、行動やノウハウが必要。
もちろん情報は、その行動で失敗するのを防ぐのに役立ちます。
また、ノウハウをより早く身につけるためにも役立つもの。
ただ本筋は、やっぱり行動したり、自分のあたまで考えたりすることです。
つまり、ラクなことはない…と。
それに、言葉には限界もあります。
たとえば自転車の乗り方。
どんなにたくさんの情報を読んだとしても、乗るコツは分からないものではないでしょうか。
体でしか分からないものもあるわけです。
そんな言葉の限界を知っているがゆえに、「知るものは言わず、言うものは知らず」という老子の言葉が残っているのかもしれません。
(ホントの意味は分からないですが。。。)
気をつけたいのは、行動や考えることには、筋力なようなものも必要だということ。
しばらく怠けていると、つぎにするとき面倒に感じることってないでしょうか。
それは、筋力が衰えているのかもしれません。
まるで、やわらかいものだけ食べているとアゴが退化するように。
「すぐに」ことが運ばないと、イライラするなら。
その原因は、情報がかんたんに手に入ってしまうことに由来しているのかも。
本当に役に立つ情報は、そう簡単に手に入らないはずです。
多すぎる情報とどう付き合うか
とはいえ、役に立つ情報は、もちろんネット情報のなかにもあります。
税金でいえば、税制改正とか税法の条文とか。
みなさんの仕事でも、新製品とかルールの情報が流れますよね。
ただこれらは、分かり使えるようになるまで、時間がかかるものです。(のはず)
情報を仕入れたあとで、体や頭をうごかす必要があるわけです。
ただ、時間は有限。
時間は限られているので、いくらか逆算したりして、仕入れる情報も選ばなければなりません。
無制限に仕入れていれば、どれもこれも使いこなせないまま終わることもあり得ますし。
そして、それらの情報も表面的なものと言えるかもしれません。
うえで仕事を例にあげましたが、仕事というのは人がいるから成り立つもの。
仕事について考えるということは、人について考えるのとおなじこと。
人そのものについての情報には、どんなものがあるでしょうか。
有用である…という前提で。
それは、おおくの人の目をくぐってきて、今も生き残っているもの。
いわゆる古典です。
なかには、たとえば聖書のように、宗教が前提のものもあります。
ただ、そのなかには何かしら人の本質につながるものもある。
生きていくうえで、結局のところ人の本質は外せないものではないでしょうか。
ひとりでは、生きられないですし。
だから情報が気になったときには、目の前にあるものだけではなく、古典という選択肢もあるのです。
とはいえ古典は難しく、読むのに時間もかかります。
だから、情報を得るにしても優先順位をかんがえてみましょう。
おそらく、この世にあるすべての情報を得るには、人の一生では足りないように思います。
きっと、本だけをとってみても、物理的に時間がたりないのでは…と。
だから、なるべくものごとの本質を優先する方向で選びましょう。
その選ぶのも、だんだん上手くなる…という前提で。
※ 記事作成時点の情報・法令に基づいています。

