「分からない」と言ってもらうには

だれかが分からないのは、経営者の責任かもしれません。

「分からない」と言ってもらえることも、経営に必要な要素なのです。

 

「分からない」とは言いにくい

子どものころだと、「分からない」はスッと自然に言えたのではないでしょうか。

でも、大人になってくると「分からない」は引っ込みがちに。

 

テストの影響かもしれませんが、分かっていること自体に価値がある…という風潮もあります。

それを盾にとって、「分からない」と言うとバカにされたりも。

常識という敵もいますよね。

 

あるいは、「分からない」というと「自分で調べろ」という返事が返ってくることも。

「分からないことは何でも聞いて」という前段があったときでも。

かりに最初は教えてくれても、二度目は「また?」なんて返事がくれば、言えるのは一度だけ。

その場の空気がピリピリしているようなときも、言いづらいものです。

 

ときには、自分のプライドのようなものが「分からない」と言うのを邪魔することもあります。

できない人より、できる人でいたい気持ちもあったりしますから。

それが仕事の場面であれば、お金に影響するかもしれないですしね。

 

こうした「分からない」は、自分ひとりで解決できるのなら、そう問題ではないのかもしれません。

もしそれが知識の問題なら、どこかに答えがあるので、探せばよいだけですからね。

でもそうでないなら、困ることもでてきます。

 

「分からない」が言えないとどうなるか

いまは、ネット情報が充実しています。

なので、以前だったら誰かに聞かなければいけないことも簡単に「分かる」ことができます。

でも、ノウハウの類はそうではありません。

たとえば、それぞれの会社にある独自のルールや取引先との関係、段取りの組み方など。

これらに分からないまま手を付けてしまうと、どこかで「あれ?」という瞬間がやってくることもあります。

 

そんなとき、すぐに修正できればよいものの、周りはおうおうにして「その人が分かってやっている」と思っているもの。

だから、気がつきにくい。

すると、気がついた時には大きな問題になっていることもあります。

間違いに間違いを重ねるわけですから。

 

あるいは、知識であっても最初の一歩が分からないこともあります。

調べるのが面倒だと、ついつい分からないまま放置してしまうことも、時にはありますから。

ただ、知識というのは、基本と応用のように、積み重ねることも多々あります。

そんなときは、最初の一歩が分からないのだから、あとに続くものもあやふやになるもの。

結果、時間や手間をかけたものの、たいした成果が得られないことにもなってしまいます。

 

こうした諸々が積み重なると、「あの人はなんか信用できない」なんて。

その場の雰囲気が、悪いとは言わないものの、なにかスッキリ信をおけない空気ができあがってしまいます。

 

もちろん、分からないことがあるなら聞くべきです。

「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」ということわざもありますしね。

ただ、ここで気になるのは「恥」という言葉。

昔から「分からない」というのは恥ずかしいものだったのかも。

 

いちど分かっている側になると、分からないのなら自分から聞くのが当たり前。

そんな風に思うかもしれません。

でも、それに固執すると、上手くいかないこともあるかも…と思います。

ひとは、けっして自分の思うようには行動しないものですから。

だから、分かっている側も、すこし気を使うことがあってもいいのかもしれません。

 

「分からない」と言ってもらうには

子どもが「分からない」というとき、だいたいは親切に教えるものです。

だって、分からないのが当たり前ですからね。

でも、2度3度おなじことを繰り返されると、「また?」なんて。

あるいは、「学校でやったでしょ」などと。

子どもからみたとき、だんだんと「分からない」と言える対象がすくなくなっていく。

そして、この流れは大人になるまで、大人になってからも続く…と。

 

だから、「分からない」と言ってもらえるためには、いちばん最初に戻ってみましょう。

どんなことについて「分からない」といっても大丈夫な空気。

なにを言っても大丈夫だし、言ってとがめられることもない。

言われる側にとっては、「分からない」と言われるのが当たり前…と。

 

もちろん、「早く分かってほしい」とは思うはずです。

それが顔に出そうになることもあるでしょうが、分かるまでの時間は人それぞれ違うもの。

向き不向き、やる気、相性、環境などいろんなことに左右されるはずです。

もしかしたら、ある時期がきたときに見切りをつける必要があるかもしれません。

 

でも、いちどは何を言っても大丈夫な空気をつくることを意識してみましょう。

「分からない」と言えない空気は、けっして良くないものだと思います。

それが、かえって頑張りを生むこともあるかもしれませんね。

ただ、個人ひとりの力では越えられない壁もあるのが事実ではないでしょうか。

 

繰り返しになりますが、ひとは、けっして自分の思うようには行動しないものです。

だから、できれば双方からですが、前に進んでいる立場のほうから歩み寄るほうが、より早く良い結果をもたらすはずです。

相手は、なにかを警戒しています。

だから、それを解きほぐすために、なにを言っても大丈夫な空気について考えてみましょう。