「今さら止められない」という続け方

泥臭いですが、努力は大事です。

その努力を続ける方法の1つに、「今さら止められない」という気持ちになる方法があります。

 

継続は力

同じことをずっと続けられるのは、それだけで才能だな…と感じています。

 

仕事をしていれば、期限までにやらなきゃいけないことは、定期的にやってきます。

決算や税金は、その代表格ですしね。

 

そうした義務的なものからすこし離れると、「やったほうが良さそう」なこともあったりします。

たとえば、毎日あるていどは歩くとか、マラソンなどの運動。

仕事でいえば、なんらかの能力を伸ばす・育てるためのこと。

あるいは、もっと単純に楽しいと思える時間を増やす…なんていうのもアリ。

どれも、今すぐにやらなくてもいいんじゃないか…というものです。

 

でも、少しは始めたものの「時間がない」「苦しい」などの言い訳で、気がついたら忘れていることも多いです。

きっと純粋じゃないんでしょうね。

本来なにかを続けるときは、興味や関心、楽しいといった気持ちが原動力となっているのが理想のように思えます。

好きこそものの上手なれ、とも言いますから。

 

とはいえ、本当に興味や関心など純粋な動機だけに身を任せていると、自分の可能性はグンと減るんじゃなかろうか…

こんな風にも思ってしまいます。

なにか、もったいないような。

 

…という風に思ったのは、いま読んでいただいているこの記事が原因です。

 

「今さら止められない」でも続く

2年ほど前から、営業日に1つ、自分のHPで記事を書くことを始めました。

というのも、税理士の仕事は、書くことの比重が意外に大きいからです。

その書くことを鍛えるために。

くわえて、インターネット経由で知ってもらうという営業も兼ねますし。

さらに、知識を身につけることにもつながりますので。

 

あらためて感じているのは、書くこと、そして伝えることの難しさ。

税理士に依頼をするかたの多くは、言葉はアレですが、いってみれば素人。

専門用語が2つくらい出てくると、そこから会話が嚙み合わないような雰囲気になることも多々あります。

 

それでも伝えるためには、専門的なことや複雑なことを、普段の生活でつかっているような言葉でも表現できなければなりません。

なにかを伝えるのは、分かってもらうのはもちろん、それを判断材料の一つとして、選ぶ・あるいは決めてもらうためですから。

伝え、使えるようになってもらわなければ、何の意味もないのです。

 

いっぽう、あまりにも簡単な表現のとき、たとえば小学校低学年向けのような感じになってしまうと、それはかえって「バカにしているのか」と思われてしまうかも…

ピッタリの表現、自分にとっても相手にとっても、を探り当てるのは、本当に難しいのです。

 

という難しさの他に、何を書くか、ネタですね、を見つけるのも大変です。

始めた数日間は、きっと誰でも順調なはず。ネタのこと限定ですけれどね。

でも、1カ月もすれば、もうネタはなくなります。

(という理由で、一回挫折しています)

 

それでも再開したのは、伝える力の重要さを身に染みて感じたことが原因です。

そして、続けられたのは、同じようにこうした記事・ブログを書いている他のかたのおかげです。

 

人によりかかる時間は違うでしょうが、わたしの場合は1つ書くのに2時間くらい。

くわえて、ネタ探しの時間は、正直わかりません。

おそらく、1日平均で、記事1つに3~5時間くらいかかっているかも。

なので、ハッキリ言って大変。

でも、ときに嬉しかったり楽しかったりもします。

たまにはスラスラ、そして上手くいくこともありますからね。ホントたまにですが。

 

その大変さを続けているかたがいるから、「自分だって、もっとやらなきゃ」という気持ちになれます。

そもそも自分より上手いな…と感じてしまうし、おそらく自分以上の努力や行動をしているはず。

そんな気持ちが、続けさせてくれました。

 

そうこうして1年くらい過ぎたとき、ふと、自分が変わったような気になったことがありました。

なにか会話がスムーズに運び、そして、相手がなにか腑に落ちた…という表情をしたときに。

きっと、書くことを続けたことで表現の引き出しが増えたのか、「伝わった感」を持つことができたのです。

「あ、これが努力の成果か」とも。

もし、純粋な興味や関心だけで生きていたら、手には入らなかったものです。

 

こう感じることができたら、やっぱり「もっと」と思うもの。

「今さら止められない」とも思えます。

一回挫折しているだけに、ここまで続けてきたから止められない…というのもありますけれどね。

むしろ、こっちが本音かも。

 

この「今さら止められない」は、これから自分がやろうとしていることを、誰かに宣言することでも持つことができます。

言った手前、恥ずかしくて止められない…と。

 

理想をいえば、何かを続けるのは自身の興味や関心であるべきかもしれません。

でも、なにかを続けた先にあるものは、続けてみなければ分からない。

もしかしたら、まったく役に立たないものの可能性もあります。

 

それでも、なにか一つは「続けているもの」を持ってみるのはいかがでしょうか。

続けているだけで、自信になります。

そして、ある日、自分が変わったと感じられるものが手にはいるかもしれません。

 

続けるのは大変です。

それを助けてくれるのが、「今さら止められない」という気持ちをもてる環境に身を置くこと。

努力というと泥臭いかもしれませんが、バカにはできないものですよ。

 

まとめ

欲しいものがあっても、すぐには手に入らないものもあります。

それを手に入れるには、手に入れるための行動を続けなければなりません。

 

ただ、そもそも続けるのは大変なこと。

純粋な興味や関心があるならそうでもないかもしれません。

そうした興味や関心を持てないなら、「今さら止められない」という気持ちが続けさせてくれることもあります。

自分は独りではないと思ってみましょう。

顔も知らない誰かでもよいのです。

 

※ 記事作成時点の情報・法令に基づいています。