いつ負けるのがよいか

負けは、自分の主観できめるものです。

なので、「いつ負けたか」も自分できめているわけです。

 

負けは自分が決める

事業をしていれば、日々、上手くいかないことはたくさんでてきます。

その上手くいかないことを、失敗といってもいいですし、負けといってもよいでしょう。

ただ、その負けは、あくまでも主観。

 

負けが主観であることがよく分かるものに、たとえば将棋があります。

将棋は、どちらかが「負けました」とか「参りました」ということで、勝負が終わります。

負けたほうの主観で、勝負がきまるわけです。

 

ただ、その主観があっているのか…には、疑問がのこることがあります。

というのも、完全に詰んだところまで指さないことが、ほとんどだからです。

プロの将棋を素人がみても、「なぜ負けなの…?」が分からないことは多々あります。

解説をきくことで、やっと「なるほど」と。

 

でも、なぜ完全に詰まされたところまで指さないのか…?

もしかしたら、見苦しい…と感じるのかも。

あるいは、その相手だったら詰みまで間違えないだろう…と信じているのかも。

 

負けは、突然やってくるものではない…ということもあるかもしれません。

そこまでの成りゆきで、「負けそう…」とは感じているでしょうから。

 

自分で負けを認めることは、ツライことです。

どんなに絶望的でもあきらめない…という選択肢だってあるわけなので。

ただ、負けまいと引きずりすぎるのも、ときに問題かもしれません。

 

引きずると滞る

あきらめない…というのは、大事なことです。

いっぽうで、適度に勝ち負けをくりかえすのも、重要かもしれません。

というのも、ものごとは、適度にながれていないと全体がとどこおるからです。

人間のからだと同じように。

 

からだは、どこかで代謝や血流がとどこおると、ほかのところで負担がふえ、病気につながることがあります。

ときには飲みすぎ・食べすぎなどありますが、全体としてながれているほうが、健康なわけです。

 

そして、それは事業もおなじ。

事業では、仕入れや経費といった投資をし、そのあとで売上という見返りがきます。

さきにお金がでていき、あとから入ってくる…の繰りかえしなのです。

この繰りかえしが多いほど儲かるわけで、事業として健康といえます。

 

もし、そのながれの中で、売れなかった在庫などを抱えこんでしまえば、そこでながれが止まってしまいます。

その在庫については、売れるまであきらめない…という選択肢があります。

ただ、そこでお金のながれは止まる。

いっぽうで、原価割れでもお金に換えるという方法もあります。

そうすれば、そのお金を、再びながれの中に投じることができるので。

 

負けを自覚する。あきらめる。

こうしたことはツライことです。

でも、負けることにも、メリットのようなことはあります。

たとえば、自分のなかに、良くないところがあったことに気づく…とか。

そうしたことを変えれば、つぎは分からないでしょうから。

 

むしろ、勝ったときには、変えること・方向転換することがむずかしくなる…というデメリットがあるのかもしれません。

負け惜しみではなく、へたに動けば、結果だって変わることがあるので。

 

何かにいちど手をつけると、それを止めるのは勇気がいることがあります。

そこまでの努力が無駄になるような気がするし。

止めたら、二度と戻ってこれないような気もするし。

 

ただ、それをまだやっていることに、満足している可能性もあります。

そこで、なにかがとどこおっていないか…検討してみましょう。

負けがあるなら、勝ちだってあるので。

 

何勝何敗を目指すか

勝ち負けのトータルで、何勝何敗をめざすか。

ここには、1勝あたり・1敗あたりの「量」も関係してきます。

99勝1敗でも、トータルは赤字…ということもあります。

いっぽうで、1勝99敗で、トータルは大黒字…ということだって、あり得ます。

 

であれば、コツコツ負けておくのも、よいのかもしれません。

あきらめが早すぎるのも問題ですけどね…

ただ、そのかわりドーンと勝てるように。

 

その負けは、自覚によることもあるし、周りが教えてくれることもありますが、経理が発見の契機になることもあります。

気がついたら負けがこんでいた…とならぬように、経理はこまめにやっておきましょう。

そうすれば、「いつ負けるか」は自分で決められるので。

そして、負けを自覚できなければ、つぎの勝負だってないわけですし。

 

※ 記事作成時点の情報・法令に基づいています。