もし税金の申告が義務じゃなかったら
義務がゆえに抵抗するのは自然です。
でも、事業があるていど長い期間うまくいっているところが、数字をつかっていない。
そんなことは想像しづらいはずです。
義務だと
税金の申告は、義務です。
ものによっては、役所で勝手に計算するものもありますけれどね。
そのほか数字まわりで義務といえば。
算数や数学のテスト、経費精算をするときの申請、融資を申しこむときの諸々…などでしょうか。
こうしたものは、義務になっているがゆえに、ついつい後回しになることもあります。
「面倒だな」とか「やりたくない」などと。
でも頭のなかでは、きっと分かっているとおもうのです。
「ちゃんとやっていれば、じぶんの役に立つもののはず」と。
義務になっているからには、なにかしら理由があるはずですからね。
もし義務になっていなかったらどうなるか、すこし考えてみましょうか。
義務じゃなかったら
まず税金の申告ですが。
義務じゃなかったら、だれも税金を払わなくなる…かどうか。
税金がなければ、国がまわらなくなるのは当然のこと。
申告しなくてもいいけれど、税金はとるよ…となってしまうなら。
強制的に、取られることになるのかもしれません。
そのときは、なにが基準になるのか。
ちょっと怖いですね。
それから税金の申告のもとになる会計データはどうするか。
もし申告があるがゆえに作っているのなら。
はたして会計データも作らないことになるのか…と。
理性的にかんがえるなら、きっと作るとおもうのです。
儲かっているのかいないのか…が分からなければ、どうしたらいいか判断つかないことが出てくるはずですし。
このことは、お金次第かもしれませんね。
ただ、お金が尽きたときに、事業がストップしてしまうこと。
それを素直に受け入れられるかどうか。
それから算数のテストもありますね。
生活するうえで、読み書きそろばんが必要なことは分かるとおもうのですが。
それを超えたものをやる意味は…といえば。
たとえば、ものごとを筋道たてて矛盾がないように考えること。
これがすこし、身に付くのではないかとおもっています。
そんな道理のようなものが通らないこともありますけれどね。
気持ちのほうが大事…と。
ただ、数字または言葉にかかわらず、道理がとおっていること。
なにかをするときに行動、身の振りかたに影響するはずです。
そのほか、自分がお金をうけとるときにする数字の証明。
これが出来なければ、トラブルになるのは必須ということは、だれでも分かるはずです。
こうしてみると、数字がからんだ義務は、なにかしら自分の役に立つ…といえます。
でも、ちょっと腰が引けてしまうようなことを避けるには。
義務から離れるには
数字にかぎらないことですが。
なんでも「できた」とか「分かった」からやりたくなることって多いです。
ほかに「ピンチを救われた」ことがあると、その後も続けることがありますけれどね。
それは置いておき。
すこし時代をさかのぼった江戸時代では。
庶民のあいだで数学が流行していたとか。義務じゃないのに。
和算と呼んでいるものです。
江戸時代は鎖国をしていたので、外国の影響がすくなかった。
にもかかわらず、西洋でおこなわれていた数学とおなじくらい発展をしていました。
その後、明治維新にともない西洋の、今つかっている数学が導入されると、すたれてしまいましたけれどね。
こんな経緯をふまえると。
おそらく、ほんらい数字をつかうということは、楽しいもののはず。
クイズのような感覚でしょうかね。
それが、義務がからむがゆえに敬遠されることを避けるには。
その義務をまったくやらないことも、ひとつの方法です。
罰金などの実害がでてしまうので、絶対におススメはしないですけれど。
ただ役に立つことを実感するには、この方法が王道ではないか…と。
簿記も、事業がうまくいき、お金のトラブルがないように…と発明されたものですから。
事業があるていど長い期間うまくいっているところで、数字をつかっていないところがあるか。
義務といわれれば、だれでも抵抗するのが自然です。
だから申告の時期がちかづくまえに、できれば小まめに、数字のことは片付けておきましょう。
義務という言葉がチラついたときには、もう出来ている。
すると、イヤな気分も減るはずですよ。
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