質問することの価値は何か

質問することには、いろんな価値があります。

その質問は頭から生まれるわけですが、その頭を鍛えるのも質問かもしれません。

そして、その頭を道具や財産と思えるか…とも気にしてみましょう。

 

質問すれば

なにか分からないことがあるとき。

それを質問すれば、すぐに答えが分かります。

 

時間の節約にもなるし、その分ものごとも進みやすくなる。

もしかしたら、聞くのは恥ずかしいと思うかたもいるかもしれませんね。

内容や立場によっては。

でも、聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥とも言いますからね。

やはり分からないことは、質問してみるのがよい…と。

 

とくにインターネットや、AI もありますから。

あまり珍しくない分野や内容なら、わりと答えはすぐに手に入るものです。

 

ただ、ここまでのことは質問ができあがっているときのこと。

質問の価値は、それをつくる過程にもあります。

 

質問をつくるには

質問ができあがるとき、つぎのような過程をたどっていないでしょうか。

  • なにかに興味がある
  • それを理解しようとしたけれど分からない
  • 分からないことを考える
  • 考えたことを、ひとに分かるように言葉にする
  • そして質問する

 

だれだって分からないことはあるはずです。

世の中のすべてを知っているわけではないでしょうから。

だから、分からないことがあるのは当然。

ただ、まず重要なのは、それについて考えること…だとおもうのです。

この「考える」には、試しに行動してみることもふくむ…としますね。

 

きっと、生きている間ずっと、知っていることだけ使って過ごすことはできないはず。

仮にじぶんが変わらないとしても、周りが変わりますから。

すると知らないことは日々、もしかしたら毎日、発生しているわけです。

 

それに対応していくためには、考えざるを得ない。

理屈や理由、考えかたが分かれば、答えはじぶんでも出せるので。

答えだけしかないなら、いつもゼロから始めるようなことになってしまうわけで。

それでは大変ですからね。

考えることによって、じぶんの頭を、道具や財産のようにすることもできるわけです。

 

そして、考えたことをひとに分かる言葉にすることも必要なはず。

ひとは、一人では生きていけないですから。

かならず、何かしらの関わりのなかで生きていくことに。

 

そのとき、じぶんの思っていることを伝えることができないなら。

楽しいことや嬉しいことが、誤解により、減ってしまうかもしれない。

質問するときなら、じぶんの欲しい答えが手に入らないことも。

 

ものごとをより正しく伝えるためには、あるていど論理的になっている必要もあります。

考えかたの過程が、飛んだりせず、つじつまが合っているような。

だから質問するときには、質問そのものだけを言うのはもったいないかも。

「なぜ疑問に思ったのか」というところから始めてみるのもよいですよ。

過程に答えがあることも、ありますから。

 

ここまでを踏まえると、質問にも良いもの・それほどではないもの。

この2種類がありそうです。

その分岐点は、質問ができあがる過程にある。

そして、なぜその質問がでてきたのかをかんがえれば、また違う価値もあります。

 

興味がつくるもの

質問は、興味があるところにしか生まれないものです。

興味がなければ、どうでもいい…と言うとアレですが。

まず掘り下げようとしないですからね。

 

きっと、興味がじぶんをつくるようなことって、あると思うのです。

先に、好き嫌いなど先天的なじぶんがいる…かもしれないですけれどね。

 

どちらが先かはさておき。

将来は、いまの興味がつくるような面はあるはず。

だから、質問のありようが、先を分けるようなこともあるとおもうのです。

 

良い質問を持っているか、気にしてみましょう。

かならずしも人に聞く必要はなく、自分で答えをだしてもいいですから。

それにより、頭という道具が鍛えられるはず。

そして、その道具が財産といえるほどになればいいな…と思いつつ。