やりたくないことも成長のカギだったりする
やりたくないことは遠ざけがちです。
好きものこそ上手なれ…良薬は口に苦し…のどっちを選びましょうか。
やりたいことは既にやっている
やりたいことがあるときは、既に手を付けているものです。
たとえば、旅行に行きたいとき。
時間がとれなくて旅行に行けないことは、ときにあるでしょう。
でも、行く場所・ホテル・費用などは、空いている時間にちょいちょい調べているもの。
とくに意識もせず、気がついたらやっているはずです。
やりたいことには、既に手を付けているわけです。
こんな「やりたい」は、自分自身それをすることに完全に納得している…と表現できます。
そもそも疑いをもたない状態でしょうから、わざわざ言葉にすることもないかもしれないですね。
いっぽう、「やりたくない」となったときは、途端にたくさんの理由がでてきます。
- 納得できない
- 腑に落ちない
- 合わない
- 面倒くさい
- 過去にやったけど、上手くいかなかった
- そんな時間はない
わたし自身のことを振りかえってみても、不思議におもえます。
というのも、純粋に「やりたい」ときには、理由がないように感じるので。
打算があるときは、もちろん含めませんが。
好きになるのに理由はいらないのに、嫌いになると、途端に理由がでてくる…
しかも、ひとつの理由が否定されたら、つぎの理由が。
そのつぎのも否定されたら、更にそのつぎも…といった風に。
こんな風になるのも、自然かもしれません。
嫌いなことには、できるだけ抵抗するものですから。
いっぽうで、「やりたくない」と向き合うことも必要なのでは…とおもうのです。
やりたくないことをやるかどうか
食わず嫌い…ということがあります。
「こんな美味しいものを、なんで今まで避けてきたのか…」
これに気がついたときは、損した気分になってしまいます。
また、そのときはイヤイヤやっていたのに、何年か後になったときに「やっておいてよかった…」ということもあるでしょう。
やらされたことをその時は恨んでいたのに、気がついたときはむしろ感謝する…
こうしたことを考えてみたとき、人間ひとりの目や考えには限界がある…とおもえます。
それが、ぎゃくに魅力だったりすることもありますけどね。
ただ、見えていないから、やりたくない…という事もあるはずなのです。
では、なにが見えていないのか…?
それは、やりたくないことの先にあるもの、つまりゴールのようなものだったりもします。
おそらく、自分には見えているゴール・想像できるゴールはあるはずです。
でも、目線が変われば、まったく違うゴールがあったりもします。
あるいは、ゴールは同じでも、そこに至るにはちがう道もあるということ。
ただ、そのちがう道を試すことは、いままで歩いてきた道を疑うような気になってしまいます。
なかなか気持ちを切り替えるのは、むずかしいもの。
ある種、自尊心を捨てるようなことでもあったりするので。
でも、「やりたくない」と感じたときには、すくなくとも、その先に何があるのか…は想像してみましょう。
たとえば、何かが上手くいっていないのは、そこまでの過程に理由があることもあります。
そんなときは、そのまま続けても、状況は変わらないかもしれない。
そこまで試さなかったこと、嫌いと感じて遠ざけてきたことに、カギがあるのかもしれないのです。
おそらく、「やりたくない」と言えるからには、余裕があるはずです。
ホントに困っていたら、何にでもすがるはず…
やりたくないことが、人の道を外すことなら、やってはいけません。
また、やりたいことを犠牲にするのも、どうか…とおもいます。
ということを踏まえて、やりたくないことにも成長のカギがあるかもしれない…ことは知っておきましょう。
きっと、すべてのことをやるのは、時間が足りないはず。
なので、何をするかは、選ばなければいけないこともあります。
そんなときに、やりたいことだけに偏っていいのか…
好きものこそ上手なれと言ういっぽうで、良薬は口に苦しということもあるので。
まとめ
やりたくないことにカギがあることもあります。
それは、チャンスのこともあるのです。
(人の道を外してはいけませんし、やらないと決めるのも大事なことです。念のため…)
※ 記事作成時点の情報・法令に基づいています。
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