自分の手を汚さなければ掃除にならない
掃除の本質的な目的は、整理整頓にあります。
ものがあるべきところにあり、つかいやすくなっているか、気にしてみましょう。
生活においても、事業においても。
掃除の目的
「掃除はあんまりやらない…」というかたも、いるかもしれませんね。
時間や手間もかかるし、掃除したところで、また汚れますしね。
それに、掃除をすれば、自分の手や服も汚れることがあって「ちょっと汚い…」とも。
わたしは、どちらかというと掃除はするほうです。
好きかどうかは、分からないですけれどね。
ただ、なんとなく習慣のような。
というのも、税理士の仕事って、掃除に似ているところがあるので。
掃除は、見かけをキレイにすることも目的です。
でも、その過程で、整理整頓もおこなわれるもの。
普段つかうものが、つかいやすいところに置いてある。
たとえば、コップが布団のなかにある…なんてことは、ないわけで。
ものが、あるべきところにある…と言うんでしょうか。
これを税金でかんがえてみると…
事実や、できごとの経緯をうかがって、たとえば節税の条件をかんがえてみる。
足りないものがあれば、どんなことをすれば条件を満たすのか。
いろんな情報のなかから、いらないものは捨て、すこしキレイにした方がよいところは汚れをなくすように行動を変え、必要なものは無くさないように・変わらないように保存しておく…と。
ちょっと掃除に似ていませんか…?
事業における掃除
ものが、あるべきところにあり、つかいやすいようになっている。
これが掃除の目的だとかんがえれば、事業にも掃除が必要です。
たとえば、ヒト・モノ・カネが、それぞれ整理整頓され、力や効果を発揮できているか。
もし、ヒトが力をうまく発揮できていないなら。
ネガティブな要素があれば、それは汚れのようなもの。
ポジティブなほうへ、汚れを落としてから、みがく必要があるかもしれません。
もし、モノが効果を発揮できていないなら。
古くてつかえないようなモノなら、修繕したり、あるいは捨てる必要があるかもしれません。
今つかっているモノも、ときにはチェックが必要です。
お金は払ったものの、全然つかっていないものも、ないかどうか。
つかっていないのは、置いてある場所も関係するかもしれません。
そして新しいモノを買うなら、そこにはカネも関係してきます。
そのカネは、数字であらわされるもの。
あるべきカネ、つまり必要なお金はいくらなのか。
つかいやすいかどうか…というのは、出ていったお金が、ちゃんと売上として戻ってきているのかどうか。
ここの効率や見通しが、それなりに立っているかどうか…ということ。
こうしたことの整理整頓にかかせないのが、決算書や試算表といった数字です。
そこには、数字であらわされるものが網羅されていますから。
もちろん、数字をつかわず、現実の肌感覚でも整理整頓はできるはず。
そして、ヒトの心のように数字ではあらわされないものもあります。
なので、数字がすべてというわけではありません。
ただ、数字も役に立てることは、気にしておきましょう。
いずれにしても、事業にも掃除が必要ということは、大事なことです。
そして、この掃除は、事業を続けるかぎり、おなじように続くもの…ということも。
掃除はつかう人がするもの
掃除の目的が、見かけをキレイにすることなら、だれがやっても同じです。
いちおう、ちゃんとやる…という前提ですけれど。
いっぽう、その目的が整理整頓にもあるなら、つかう人がやらなければ意味はありません。
整理整頓の基準、つかいやすいかどうかは、つかう人が決めるものですから。
つまり、掃除というのは、自分自身でするもの。
自分の手を汚さなければ、本質的な掃除にはならないのです。
それに、「汚しちゃった…」ということは、つかっている人が、まず気づくものですしね。
あとは、面倒かどうか、時間や手間がかかること。
これらとの折り合いです。
汚れだったら、洗えば落ちますしね。
整理整頓されているかどうかは、すみずみまで掃除しなければ分からないもの。
これは、普段の生活での掃除でも、事業における掃除でもおなじです。
生活ではやらないけど、事業ではやる…でもOKかもしれません。
ただ、なにが気づきのヒントになるかは、分からないものですよ。
掃除を、やってみましょう。
【たまに編集後記】
土日は連続で蕎麦を食べ。
昨日は、決算後の来年度へむけての打ち合わせを。
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